貞包氏の口頭発表は、戦間期ポーランド(第二共和国)における東部地域での少数言語政策について、その根拠法となる「国家語法(1924年)」に着目し、同法の性質を明らかにするとともに、同法および1921 年および1931 年の同国国勢調査の分析を通じて、ポーランド第二共和国の言語政策が、多言語融和的な政策であったといえるか否か、その実態を解明しようとする研究の一部を構成するものである。発表では、まず第二共和国時代の多言語状況の実態が分析され、ついで「国家語法」について全体像および少数言語政策に関連する諸条文についての分析が行われた。その結果、同法が東部地域の少数言語のみを対象とし、ドイツ語などの他の国内少数言語については触れていないこと、行政・司法分野および教育分野では別の公用語に関する法律が制定されていることなどから、第二共和国の言語政策は一貫性を欠いたものであることが指摘された。そしてその背景にある第二共和国の成立過程、すなわちヴェルサイユ小条約によるポーランド内政への条件づけ(国内少数民族の保護)と、国内における民族主義の台頭や政治情勢の不安定さが指摘され、国家語法はこれらの情勢間で生まれた妥協の産物であり、国内少数言語に対する融和的措置とはいえないとの結論にいたっている。
貞包氏の発表は法文の分析も入念で、研究の手続きも手堅く、結論に説得力があった。さらに、発表内容に関連する参考文献資料およびヴェルサイユ小条約・ポーランド三月憲法・国家語法の日本語試訳を掲載した補足資料も当日PDFにて配布された。前者の参考文献資料により、貞包氏の研究がこの分野において極めて希少性が高いものであることがわかる。そして後者の補足資料はそれ自体が学術的価値の高いものである。内容が豊富なためやや早口な印象は拭えなかったが、発表時の説明態度と研究内容を口頭で表現する力は優れたものがあり、質疑応答でも丁寧にかつ論理的に自身の考えを述べていた。
(2022年3月9日 JALP学会賞選考委員会)